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「東儀秀樹」Web 限定インタビュー取材日:2012.01.13
宮内庁専属の楽師として活躍した後、
ソロ・アーティストとして幅広い音楽活動を続ける東儀秀樹。
千年の歴史を持つ神秘的な雅楽の古典を大切に守りながら、
新たな音楽世界を切り拓き続ける彼の音楽観、
そして、その意外な素顔に迫りました。
昨年6月にリリースされたアルバム「子供たちに優しい未来を」には、特別なメッセージ性を感じました。
ちょうど制作に取り掛かるときに震災のニュースが飛び込んできたんですよね。デビューしてからずっとそうなんですが、僕は、テーマやコンセプトを綿密に考えてアルバムを作るということをしないんです。そのときに閃いたものがそのときに活きればいい、というぐらいなもので…。旬のものを発表していけば、テーマは後から自ずと見えてくると思っているんです。そんな風に、その時期になんとなく閃いた曲、見えてきた形を基に「こんな感じでいくか」と言っている時期に震災のニュースが飛び込んできました。だからやっぱり、作るものに変化はありましたよね。例えば、珍しく歌なんかも歌っているんだけども、それは多分、あの震災がなければ生まれなかった。途方に暮れている人たちに、音楽家として何か希望が持てるメッセージ、エールを送りたいな、と。僕の楽器の表現でも十分、エールになってると言ってくれる人もたくさんいるんだけれど、もっとダイレクトに、自分の中にこみ上げてきたものを言葉としてメロディに乗せて伝えたいと感じたんでしょうね。だから「歌を作らなきゃ」と思って作ったんじゃなくて、インストゥルメンタルの作家である僕から自然に出てきた歌なんです。だから、ジャンルが違ってもアルバムに乗せるべきだと思って。だったら、ほかに考えていた曲もそういう気持ちの伝わるものを並べたいな、と思っているうちにできたのがこのラインナップです。昔から僕は歌が好きでデビュー前はずっと歌物の曲を作っていたし、得意分野ですしね。
自分の中から自然と出てくるもの、湧き上がってくるものを楽曲でカタチにするんですね。
僕ほとんどのCDのバックでピアノとかギター、ドラムを全部自分が弾いてるんですよ。でも、そういう楽器の勉強をしたことがないんです。ピアノも習ったことがないし作曲も勉強したことないしね。だけど「こんな感じでやりたい」という思いで楽器を触っているうちにできちゃった。そういうレベルでも、ちゃんと音楽家として昇華できるんですよね。音楽家になるにはそのレベルじゃダメだよっていうんじゃなくて、音楽が好きで自分なりの表現ができたら音楽家なんだと思います。だから、ピアノを弾くにはあのピアニストのメソッドをちゃんとやっとかないと…というのではなくて「あ、面白いな」というのがちょっとでもできれば、もうその人なりの「ピアニスト」になってると思うんです。僕は、音楽なんてそんなものだろうと思う。だから作曲も、臆することなくいろいろな組み合わせをすぐに思いつくんでしょうね。むしろきちんと勉強していたら「これはできるんだろうか」と石橋を叩きに行くかもしれないけど、それは僕の辞書にはないから怖がることはないし、得してますね。
楽器や演奏との関わり方が、ロックミュージシャンのようですね。
そんな感じなんですよ。僕が雅楽を始めたのは18歳ぐらいで、かなり遅い方なんです。その前にはロックをやったりジャズをやったり、ギターとかピアノ、ベースなんかの楽器を気ままにやっていました。結局、その経験が何より役に立ってますね。雅楽の古典をその後に集中的にやるんだけれど、その中から見えてくるワクワクする部分とか意外性とか疑問点なんかが、ほかの音楽をいろいろやってきたからこそわかる。小さいときから雅楽をやっていたとしたら何も疑問に思わず淡々とやってる自分になっていたと思うんです。ジャンルの違う音楽をやってた分、ほかの雅楽師よりも雅楽を掘り下げようとしている力が働いていると思います。だから僕は、どんな挑戦をしようとどんなコラボレーションをしようと、結局、古典の雅楽に自信を持っているんです。例えば宮内庁の楽師たちと僕はずっと一緒にやってたけど、古典の最高峰である彼らと比べても、僕はそれ以上の古典の自信を今でも持ってますね。それがあるから、どんなチャレンジをしても、外国に行っても、胸を張っていられるというのはあります。
東儀さんのご活躍があって今や雅楽は多くの人が見聞きできるものになりましたが、そもそもいわゆる宮廷での音楽で、クローズドなものとして演奏されてきましたよね。宮内庁をお辞めになったのは、雅楽自体を一般に浸透させるためだったのですか?
浸透させるために辞めたわけじゃなくて、辞めたことによって浸透していったんですね。「東儀さんが独立してフリーにならなかったら雅楽は広まらなかった」とよく言われているけれども、そういう自覚もある程度あります。雅楽のルーツはシルクロード文化で、世界でも日本にしか残っていません。これは、日本人として誇りを持てる部分だし、責任を持たなければいけない部分でもあると思います。古典の雅楽を紐解いてみると、そこには占星術や天文学、陰陽道と、いろいろなものが混ざっているんです。日本だけじゃない、シルクロードを語る要素がたくさんあって、そこから能が生まれ、狂言が生まれ…と、古典のルーツが全部固まっている。日本の美学のすべての核になっているものだから、日本人は知っておいた方がいいし、すごく面白いものなんですよ。でも「皆さん、雅楽を知るべきですよ」と言ったところで、絶対広まらないんですよね。学校の教科書にも一応、雅楽が説明されていますが、それで「雅楽を聴きに行こうか」なんて誰も思わないでしょ?その代わり、僕が篳篥でビートルズやクラシックの曲を演奏したり、オリジナル曲を表現すると「雅楽」というカテゴリーではなく音楽を楽しめるわけです。東儀秀樹の楽器、音楽を楽しもうというところから入った人たちが「え?それって千年前の雅楽の楽器なの?」と思って、雅楽そのものに興味を持ってくれる。そして千年前の音も聴いてみようという気持ちになって、古典の入り口にいつの間にか立っているんですよね。だから「古典を聴いてください」と100回言うよりも、僕がビートルズを篳篥で1回吹く方が古典を見ようという気持ちを育てているとすごく感じますね。よく小学校に行ってレクチャーをするんだけど、子どもに向かって「これは1,400年前に大陸から渡ってきた…」なんて言ったって受け入れられませんよ。それよりも「テレビで何が好き?」と訊ねて、例えば「アンパンマン」と返ってきたら僕はその場で吹くんです。そうするともう子どもたちはワクワクして、そこからコミュニケーションが始まるんですよね。そして、その子が高学年になって音楽の教科書で「雅楽」を見つけたときにワクワクして興味を持つと思うんですよ。子どもたちが能動的に興味を持つような機会を与えてやれば、絶対に心に残るはずです。大人になって「日本人でよかったな」と思うような…。音楽だけじゃなくて、数学だって国語だって、自分で知りたくなるような状況を先生たちは作るべきだと思いますよ。僕だったら子どもたち全員を面白がらせる自信があります。「ワクワク」をキーワードにしてね。僕のコンサートでも、自分が楽しいというだけじゃ気が済まないんですよ。スタッフみんなが同じだけワクワクして欲しい。例えば照明を当てる人も、ワクワクして僕を追っかけてほしいなと思うし…。だから舞台以外の部分でも僕はコミュニケーションを楽しんでますね。そのためにいろんな隠しネタを持っておどかしてみたりとか(笑)。そういう仕込みにはいくらでも時間をかけますね。リハーサルよりそっちの方に夢中になるぐらい(笑)。一般的な「東儀秀樹像」は、もっと堅苦しくて神経質そうなイメージかもしれませんが、とてもアグレッシブで、かなりいい加減ですよ。ワイルドで太っ腹っていうか、肝は据わってますね。
雅楽という音楽には、精神世界に訴えるような哲学的なものを感じますが、曲づくりや演奏でそれは意識されますか?
それはかなり加味してますね。日本に入ってきたのが1,400年前だから、雅楽が生まれたのは1,500年から2,000年ぐらい前だと思います。そんな機械文明とか何もないときに「陰陽道」という占星術や天文学と音の兼ね合いとか、自然と人の調和を計算するという道があったみたいなんですよ。だから古文書を読み紐解いていくと「ラ」は南を指し赤い色と対応していて夏を表しているとか、黄色は中央に存在していて「レ」の音であるとか、そういうことが書かれている。音楽というのはその組み合わせなんですよね。それで季節感や、もっと細かい午前とか午後とかを表したりする。だから、インドの古典音楽にも午前中にしか演奏しちゃいけないフレーズなんかがあるんですよ、今でも。そういうことが雅楽でももっと細かく分かれていて、それに細胞が反応して落ち着くとか、音楽で春を感じるとか…そんなことができいた人が2,000年前にいた、そしてそれが全部楽器の空気に宿っているんだと思うと、それを引き出すのが僕の仕事なんじゃないか、と。今、目の前にある篳篥を吹いているように聴かれるかもしれないけど、実は千何百年前の人の叡智が重なって届いているといいな、というのが僕の希望でね。だから例えばポップスを吹こうが、篳篥自身が吹かれたがってる形があるはずだと。揺らぎだったり音の発音だったり…それは昔の人が僕にそうさせてるのかもしれないという精神的なものは感じますね。昔、こんなことがありました。フランスの農場で笙を吹いていたんです。気がついたら何十頭もの牛が集まってきてピタッと目の前で止まるんですよ。で、演奏を止めたらみんな去っていくんです。海で篳篥を吹いていたらイルカが集まってきたりとか、妊婦さんのお腹の赤ちゃんがすごく動き出したとか、そういう事例はたくさんありますね。今、僕らは機械文明の中に生きているからそういうことを感じることに頭が気づいていないだけで、体は感じてるんだと僕は信じています。それは失われたものではなくて、隠れてるものだと…。だから篳篥の音色がその隠れた感覚をくすぐってくれていると信じています。外国でもよく演奏するんだけれど「初めて聴くのにどうしてこんなに懐かしい気持ちになるんだろう」とアメリカ人が言ったりするんですよ、篳篥の音を聴いてね。だから、2,000年ぐらい前のシルクロードの音楽というのは洋の東西を分け隔てする遥か以前の「人間ならこういう風に反応するんだ」とわかっていた人たちの産物だと思ってますね。
そうした感覚も含め、日本の大切な伝統文化として雅楽を遺していくために、将来的に描いていらっしゃるビジョンなどはありますか?
日本のものっていうのは、やはり日本人が誇りを持って大事にする責任があると思うんですよね。でも雅楽というのはそもそも大陸生まれで、だけど日本のものになっている。雅楽を日本人が守っている誇りというのは、世界の、地球の無形文化遺産を日本人が守っているんだという大きな責任感だと思います。これを日本人が手放したら、地球の大事な古代文化がなくなることになっってしまう。この形がちゃんと残ってこられたっていうのも、皇室の儀式とか神社仏閣の儀式の音楽だったからこそなんですよね。これが遊びの庶民の音楽だったら、時代の流行によってどんどん変わっていったと思います。それが脈々と守られていたというのは、本当に国や宗教の保護のおかげだという部分はありますね。これまで千年続いたものというのは、千年後も必ず続くと思うんですよ。変化してきたものは、その後も変化すると思うけれど。あとね、僕には5歳になる息子がいますが、子どもに継がせようとは思わないんです。例えば、5代〜6代ぐらいの継承のものだったら、息子が継ぐのを見届けたい…という気持ちになるかもしれないけれど、千年スパンのものの中にいるとそんなことどうでもいいんですよね。息子の中には当然、僕の血があるんだから、それでいいんだ、と。例えば息子が科学者になろうと絵描きになろうと、そのまた子どもの血が残って、僕が死んだ後もその10代先に「なんか雅楽に向いてるような気がするんだよ、オレ」っていう子孫がきっと出るだろう、ぐらいに思ってれば、僕は楽に死ねますね(笑)。見届けようなんて思ってません。「千年」という時間の重みというのはそういうものだと思います。
ところで、東儀さんはとても多趣味でいらっしゃるそうですが。
そうですね。例えば乗馬やクレー射撃、スキューバダイビングやサーフィン…いろいろやります。雅楽や音楽と全然関係ないサーファー仲間の話のノリにもどんどん入っていけますよ。そうすると、コミュニケーションする人の年齢の幅もすごく広くなるから、例えば渋谷のやんちゃな小僧たちに混じっても平気で彼らの目線と言葉で喋る自信もありますからね。方や皇室の方たちととても丁寧な言葉で話す用意もあるし。幅広いんですよ(笑)。だから、コンサートなんかでコラボレーションのときに心配がないんです。「何とかなるに決まってる」。そういう自信を持ってるから、相手が躊躇してても「大丈夫、好きなようにやってくれたら、絶対に僕がカバーできるから」と堂々と言っちゃいますね。そうすると、だいたい上手くいきます。お互い気を遣い合ってお互いのいいものが出せないまま終わるのが一番よくない。コラボレーションって、面白いものと面白いものを掛け合わせるともっと面白いものになるかというとそうでもないんですよ。僕がコラボレーションのときに一番大切にしているのは相手の技術じゃなくて、心の通い合わせですね。「この人面白いな、好きだな」という感覚があれば、その人がどんなジャンルであろうとどんなレベルであろうと、絶対にいいものを作る自信はありますね。