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「横山剣」スペシャルインタビュー取材日:2017.05.01
クレイジーケンバンドが、今年で結成20周年を迎えます。
横山剣の作り出す音楽は、ミクスチャーでありながら唯一無二。
黒人音楽、ラテン、ジャズからアジアン・ミュージックまで多彩な音楽をベースにした
彼の楽曲が生まれる背景には、自身のさまざまな体験が伴っています。
インタビューではデビュー以前の話から始まり、
今回の名古屋クラブクアトロでのライヴの話まで、
時に真面目に、時にあの独特な茶目っ気たっぷりに語ってくれました。
20周年の記念ライブ、今回の会場は名古屋クラブクアトロです。このサイズのライヴハウスでは、もうなかなかクレイジーケンバンド(以下CKB)のライヴを観ることができなくなってしまいました。クアトロにはどんな思い出がありますか?
まだデビューする前は、渋谷のクアトロで買い物しながら「いつか最上階のクラブクアトロで演りたいな~」って思ってたんですよね。確か最初のライヴは平成元年、というより昭和天皇が崩御されてから元号が平成に決まるまでの間だったと思うんですけど、CKBの前身であるCK’S(シーケーズ)のさらに前身、ZAZOU(ザズー)で渋谷クアトロにお世話になったのが最初です。スタイリッシュなイメージで、出演しているアーティストもみんなセンスよかった。心斎橋クアトロにも出演しました。それからCK’S、CKBと移行して、名古屋や広島のクアトロにも出演しました。名古屋クアトロのライヴでは地元のシーモネーター(現SEAMO)と共演したことが印象に残ってますね。今回は長年のファンの皆さんやお世話になった全国クアトロへのご恩返しです。元々クールス(当初、舘ひろしが率いていた)、ダックテイルズ(当時シャネルズと競っていたグループ)などに加入したきっかけも誘われ系だったし、そういう意味ではCKBは初めて自分の意思で結成したバンドだと言えます。
誘われ系でバンドを渡り歩いていらっしゃいながら、やりたい音楽の本質は早くから確率されていたようですが。
あくまでも楽曲を制作することが好きでした。昔、ィ横浜・元町のユニオンという店の踊り場にPRコーナーみたいなのがあって、みんながバンドメンバーの募集に使っていたんです。僕は自分の楽曲をデモテープに録るためのバンドメンバーを募集したつもりで、ライヴをやる気はなかった。そのテープで自分の楽曲を売り込んで、もし売れたら、演奏手数料みたいなものをメンバーに渡すという。海外ではそういう作家チームみたいなのが結構あったと思うんですが、メンバーは「いつライヴやるんだ?」ということになって「やらないよ」となるとメンバーの頭の中は、はてなマークになるわけです。それでバンドはダメだと思って、宅録をするようになったりして。だから楽曲を作ることに興味があって、それを自分で歌うことには執着がなかった。
それがCKBではバンドリーダーでありシンガーということになった。歌うことの楽しさを知ったのはいつ頃だったのですか?
古くは小学校5年生の頃、中古レコードの実演販売をやってたことがあります。要はレコードの収録曲を自分で歌って聴かせていたんですね。その時はもう完全にアウェイというか、通りすがりの人たちに聴かせていたわけです。人前で歌う快感自体はその頃すでに感じていました。だから、初めて「歌」で稼いだのは小学校5年の時(笑)。それから時は流れて、CK’Sの頃にジェームス・ブラウン(以下、J.B)やP-ファンク、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーンのコピーをやろうということになって。僕はそもそも日本語で歌うのが好きなので、あまり乗り気ではなかった。それがいざ練習を覗きに行ってみると、これがすごくイイ。J.Bの「パパのニューバッグ」とか自分で歌っちゃったりして。J.Bに関してはショーを丸ごとコピーしてました。マントとか被ってMCもちゃんと入れて。それでィ横浜・本牧のライブハウスと契約して出演していました。歌うこと自体ももちろん楽しかったですけど、J.Bのステージでは自分のサイン一つでバンドを動かせることに快感を覚えましたね。「あと何回でサビいくよ」とか。自由にバンドの音楽を動かしていくことにハマっていきました。
J.Bのバンドはドラムやベースのリズム・セクションがかっこいいですし。
J.B’S!クライド・スタブルフィールド!本当は元々ドラム志望だったんです。中学生の時にバンドに誘われてドラムやりたいって言ったら、ドラム志望が4人もいて(笑)。泣く泣くヴォーカル担当になったという。
CKBが世に出た時には驚きました。渋谷系の匂いもありながらいろいろな音楽のエッセンスが混じり合っていて。
まだCKB結成するずっと前の80年代後期に、ィ横浜・本牧のイタリアンガーデンという、当時、ロンドンと直接繋がっているような店があったんです。週末のイベントでオンタイムの音楽を回すDJがいたり、ギャズ・メイオールというスカ専門のDJが来て廻したり。それで今ロンドンではジャズファンクで踊るムーヴメントがキテるという話を聞いて、ロンドンに行ったら後のブランニュー・ヘヴィーズやジャミロクワイ的なバンドに出会ったんです。どのバンドもやっぱりベースとドラムが格好よかった。なんとなくイメージしてたことを先にやられちゃった感じで「あ~あ」って思いましたが、それで日本に戻ってグズグズしてたら、渋谷周辺にもそんな音楽かけるDJやバンドが出始めたりして。またしても「今、やろうと思ってたのに!」ということで。でもそのロンドンでの体験やその時代の音楽が今の僕の音楽のスパイスになってるのは間違いないです。
そして、歌詞のインパクトも剣さんの音楽に感じる強い力です。
僕は摩擦を伴った日本語のグルーヴが大好きなんですよ。例えば同じ英語でも白人よりJ.Bやオーティス・レディング等、黒人の強い発音や、Rの発音を巻き舌で歌うラテン系の響きにグッと来ていました。矢沢永吉さんや田島貴男さん、平山みきさんなんかも日本語ならではのグルーヴを心得ていると感じました。言葉の意味よりも語感に感じるものが大きい。不条理な歌詞だってたくさんあるし、でもそれがメロディに乗ると意味を持って輝いてきたりする。向き不向もきあると思いますが、僕には日本語が向いている。日本語はスタッカートが使いやすかったり、あとはやはり歌詞に言霊(ことだま)を感じることがあるんです。だからメロディーと同時に浮かんだ歌詞は、むやみに変えないんです。
楽曲を作る手順は決まっていますか?
決まっていないです。平凡パンチとか古い雑誌を見ながら、その見出しで歌詞が浮かぶこともあるし、スタジオでドラムを叩いたのをループさせて気持ちよくなってメロディや歌詞が押し出されることもあります。でも8割は車の中。脳の中で音楽ができてくるんですけど、レコーダーを持ち歩いているわけでもないので覚えていなきゃいけない。でも、忘れてしまったらそれは縁がなかったということだと。すごいイイ曲だったりしたらかなりショックですけど(笑)。2007年にニューヨークに行った時はたくさん曲が浮かんで、その時はMDに録っていたんですが、何か操作を間違えたのか全部消えてて。でも、よっぽどインパクトが強かったのかほとんど脳内に残っていたんです。それでできたのがアルバム「ZERO」。
剣さんの曲には香港やアジアをテーマにした曲が多いですが、これには何か理由はあるのでしょうか?
子供の頃に観たブルース・リーの映画、あとはチャウ・シンチー(香港出身の映画監督であり俳優)の影響かなぁ。あと、香港という街の背景ですね。歴史に翻弄された街であることからにじみ出る切なさ。小さな街にいろいろなものが凝縮されているのも面白い。人間香港になりたい、人間シンガポールにもなりたい!なんて言ってるぐらい( 笑)。ごちゃごちゃしてるのにメロウでね。そんな考えを決定付けたのが、渋谷クアトロで観たディック・リー(シンガポール出身のアーティスト)のライヴ。音はチープではあるんですが、それもまたいい味。英語・中国語・マレー語で歌うんです。日本の久保田麻琴さんとサンディ・ラムという香港の歌手をプロデュースしたりという枠にとらわれないスタイルと、ある意味カウンター・カルチャーも体現している人。「また先越されちゃった~!」て感じですよ。
剣さんもいろいろ吸収し続けて、今に至るわけですね。クアトロのライヴはどんな内容になりますか?
’00年代のテイストを出しながらも、今の僕らも、もちろん盛り込んでいきます。混乱させたい、みたいな。でも、ライヴのスタイルは当時を再現して2部制でやろうと思っています。
6/21WEDNESDAY
CRAZY KEN BAND 20TH ATTACK! CKB[攻]
クレイジーケンバンド
チケット発売中
■会場/名古屋CLUB QUATTRO
■開演/19:00
■料金(税込)/整理番号付・オールスタンディング ¥6,500
■お問合せ/サンデーフォーク TEL.052-320-9100
※中学生未満入場不可(中学生はOKです)
※入場時ドリンク代別途500円が必要