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「泉谷しげる」 スペシャルインタビュー取材日:2011.12.8
’70年代にフォークシンガーとしてデビュー。以後、ミュージシャン、俳優、そして
「物言う大人」として強烈な存在感を発揮し続けてきた泉谷しげる。
3月に知立で、5月には武豊で、ムッシュかまやつと台本ナシの本音トーク、
そして弾き語りライヴを繰り広げる「トーク&ライブ」を開催します。
敬愛するジョン・レノンについて、音楽について、作品づくりについて、
大いに語ってくれた濃密な1時間。その内容は…。
今日(取材当日の12月8日)はジョン・レノンの命日ですね。
そうだねぇ。30年前のあの日は、非常に胸騒ぎした辛い日だったなぁ。一報を聞いたときは固まりましたね、ホントに。自分らにとってはホントに代表選手のひとりだし、芸術家がひどい目に合うというのはすごくキツイですよね。拠り所ですからね、ある種の。俺はアーティストの生活というものには、それほど興味を示さない方なんですけどね。やっぱり描いてるもの、表現してるものが好きじゃなきゃ、いくらいい人でもその人を好きになることはできない。だから作品ありきですよね。作品が優先的なことで、作品があって初めて「ああ、この人と一緒にやってみたいな」とか「近づきたいな」とか思うのであって、そういう意味ではレノンさんもやっぱり素晴らしい作品群を残してるし、かまやつさんもそうだしね。「一緒にやってみたいな」と思える人というのは、やきもちを焼かせてくれる人。はっきし言って嫉妬心ですよ。若い頃なんか「チクショー、やられたな」とか「クソッ、なんで俺にはできないんだろう」という思いで頭を突っ込んできたような気がするのね。会ったときも素直にファンだって言えなくて、「テメェぶっ潰してやるぞ」みたいな、なんか意地を貼ってね。ホントは大好きなんだけど、そう言っちゃうとこっちが弱くなったような気がするから、対抗意識を燃やして努力したんじゃないかな。若いときはやっぱり素直に嫉妬して、それを越えてくようなことをしていかないと向上もしないし。だからレノンさんにも物凄いヤキモチ焼きましたよね。
ジョン・レノンは音楽を通した平和運動としていろいろなアクションを起こしてきた人物ですが、泉谷さんのスタンスとも通じるところがあるように思います。
そう言ってもらうのはありがたいことなんですが、やっぱり彼らの場合はベトナム戦争があったからもっともっと深刻で、平和運動の度合いがもう全然違うよね。で、やっぱりキリストのようにラブを提唱しているというところは西洋人だなという。やっぱり救済というものは体制も反体制もないわけで。そこに行けるか行けないか、なんですよ。だからロックは反体制とか言うけど「そうかな?」って俺、思うわけ。あんだけ電力使っといてよ、環境に悪いことやっといてさ(笑)。フォークはまだアコースティックだからな。今、反核のロックフェスが意外と行われないのは、そうかなと思いますよね。だって電気使ってんだから。ジョン・レノンが生きてたらおそらく反核運動もやってたかもしれないけど、ラブというすごいシンプルなものを、あんだけシンプルに臆面もなく出した人も珍しいかな、と。「ベッド・イン」とかね。だからそこを体制側はものすごく恐れたわけでしょ、その影響力に対して。「ラブだよ」って言ってるだけで、あんだけの人が集まっちゃって。人が戦争やってるときにラブとは何事だっていうことでしょ、はっきり言えばね。そういう柔らかいものは許さんぞっていう空気の中であれをやったというのは、とんでもねぇ野郎だったんでしょうね。たったひとりの革命じゃないですか、考えてみりゃ。みんな後からついてくるだけで、最初は批難くらってるわけじゃないですか。だから批難や賛否を恐れたり数が揃わなきゃやれねぇなんて言ってる人に革命はできないよ。
仕事にプライベートを持ち込め!
「ベッド・イン」をはじめ、彼の作品や行動はときに批判や物議の対象にもなりましたが。
レノンさんは愛情の持ち方が素直にできなかった幼児期があったのか、ちょっと過剰で。だからビートルズのメンバーに「今愛してるのはこの女だ」って連れてって、みんなを白けさせたみたいな。「抱き合うな!お前らイチャイチャしてんじゃねぇよ」みたいなことにしか見えないじゃないですか。「それは作品でやれ!」って。それで作品でやったわけですよね。それがすごいんだよ。だから俺もボランティアの連中とかを集めてひとつのイベントを作り上げていくんだけど、こういうのは個人的な事情を持ち込むもんだと言うんですよ。仕事なんだろうけど、仕事以上のことをしないとこういうのはできないものだと思う。金になるわけじゃないしね。だからそれに取り組んでいる人っていうのはそれなりにかっこいいだろ、と。だからスタッフ同士がよ、そこで一緒にやってるときに「ちょっと素敵だな」と思って恋愛関係になったっていいんだと。「もうお前ら子供生んじゃえ、その場で」なんてさ(笑)。仕事って言ったって、プライベート持ち込まずになんてできないんだって。プライベート持ち込むなってみんな言うけど、そうじゃないとできないんだよ。プライベート持ち込めと、自分の感情を持ち込め、と。お金を得るっていうことで仕事って形になってるだけであって、みんな個人の生活事情からその仕事をやってるわけでしょ?プライベートを忘れてとか、それは不可能なんですよ。だからレノンさん見てると、プライベート思いっきり持ち込んでるじゃない、あの人。持ち込みまくりなんだから。それが日本の仕事形態においては、なんてことしてんだっていうことになっちゃうんですよ。仕事にプライベートを持ち込むとは何事だっていうのが日本のあり方だから。芸事やってる人間は親の死に目にも会えないとかさ。死に目に会えよ。
ミュージシャンにとっては、歌そのものがプライベートみたいなものなんですね。
そうですよ。戦争反対とかいうのだって、プライベートの事情から言ってることであって。放射能のことだってそう。自分の生活に置き換えたときに「冗談じゃねぇよ」って抵抗運動起こしてるわけでしょ。自分の生活のない奴の言ってることのどこに説得力があんだっつうの。だいたいロックなんて下品なものなんだ。「セックス、ドラッグ、ロックンロール」だったんだからね。あの姉ちゃんとやりてぇと思うのは当たり前のことで、健康な証拠なんだし、なんだかんだ言われても、色っぽいって言われた方がいいんだから。「いい人だけどカサカサだね」って言われたら嫌だもんね(笑)。やっぱり自分ら表現するものとして何が好きかと言ったら、動くもの、表現するものの色気だと思うんですね。そこに一番グッとくるんじゃないかな。やっぱり動くジョン・レノン、動く音楽、そういう動的なもの。ジョン・レノンの色気というものは、自分自身に対する劣等感とか他者への嫉妬心から生まれるのかもしれない。まぁ、ふて腐れてるとかひねくれてるとか、グレてるっていうのは色っぽいですよね。清廉潔白な人ってあんまり色っぽくないじゃないですか。
勧善懲悪じゃなくて、悪の黒い魅力というか。
そうそう。妖しい、やましい魅力だと思うんですよね。やましさ。不良にちょっと色っぽさを感じるのはそういうことだろうと思うんです。だから不良になれといってる意味ではないんだけど。得体の知れないダメ男みたいなのに惚れちゃったりする女性もいるでしょ?妖しいところにゾクゾクしたりするわけで。男だってそうですよ。ブスでも色っぽい女性のところに行っちゃうみたいなところってあるじゃないですか。美人でスタイルもよくて、真面目で素敵な奥さんだから満足できるってものでもないじゃない。なんだか知んねぇけどな。ジョン・レノンという人は、人間の不確かなところの色気とか魅力とかいうものをホントによくわかってた。体現してたっていうのが正しいのかも知れないな、すごく人間的に。そこが素晴らしい。子育てもやり、酔っ払ってファンを殴っちゃったときもあったろうし、「これじゃいかん。自分はいい人間にならなきゃ」って自分を叱咤したこともあるだろうけど、でもその舌の根も乾かないうちにまたワケのわかんないことやっちゃったりとか。このダメさ加減。ダメさ加減の魅力っていうのはホントに音楽の表現の中で大事だよね。「いいよ、お前はこれ作ってんだから。わかったよ、こっちもあんまり調べないし」みたいな。調べたくもないしみたいな。だからよくアーティストのプライベートまで知り尽くしてるような熱狂的なファンとかいるけど「歌だけ聴いてろよ」と思うけどね。
才能とは、人間関係の中で起こる化学反応。ただ、創作の苦しみは決して人には見せない。
ファンと言っても本当に歌を理解しているのか、と。
いや、歌は人それぞれの受け止め方でそれは構わないんだよ。「この詞はどういうイメージで作りましたか?」とか、外国の人なんかによく聞かれるんだけど、イメージも何も作ろうと思わないと作れないんですよ。「締め切りがちょっと忙しかったんで」とかね。締め切りまで作りませんよ(笑)。天から降ってくるのなんて待ってらんない。締め切りなかったら誰が作るかそんなもん。好きなときに作っていいなんて嘘で、そんなものはあり得ない。「早く作れ、早く作れ」って、みんなからプレッシャーかけられてやってるわけです。そういう意味でお客さんはサドでもありマゾでもあるんですよ。いいものを作ればお客さんを押し返すことはできるけど、あんまり出来がよくないとお客さんに責められちゃうっていう(笑)。だから最近は、最初に言っとくの。「言っとくけどさ、これ駄作だからね」って。ちょっと締め切りギリギリで作っちゃったからさ、って。もちろん苦しんではやってるけど、それは俺の勝手だからな。他人に関係ねぇことだもんな。勝手に苦しんでんだから。それを「私はこんだけ苦労しました」って押し付けんなっつうの。大きなお世話だよね。興味ないっしょ。俺、才能ってのは基本的に化学反応だと思うんだよね。対人関係の反応からくるものではないのかと。例えば、取材があるからこういうことを言おうとして家から出てきてるわけじゃないじゃないですか。でも、この時間にあなたと喋ることで出てくることがある。それは今日の才能ですよね。思いつきとかそういうのは、相手への反応から生まれてくる。ひとりでいるときはこんなこと考えてないですもん。はっきり言って俺は、天才とか言われてる人は泥棒だと思いますよ。対人関係の反応で「あれ?今日、ちょっといいことボロっと出ちゃったな」みたいな、「これ作れるな」みたいなね。音楽だったらワンフレーズあればいいんですよ。一行が決まるかどうかなんですよ。あとは後付けなところがあるんです。恐らくレノンもそうだったんじゃないかな。彼のワンフレーズのすごさ、そのシンプルさは聴く度に嫉妬するから、あえて聴かないときありますよ。エレファントカシマシなんかもそうだね。大好きだから、一回聴いちゃうと全部聴いちゃうから、聴かないんです。「もらったCDも封切らないぞ」みたいな(笑)。あの声といい、フレーズといい「チクショー、この野郎」とか思っちゃって。ホントに素敵な少年ですよ。ホントにかっこいいヤツで。日本の男もいいところに来てるなみたいな。俺らよりちょっと下の世代だから、とてもありがたいですよね、そういう脅かすヤツが出てくるっていうのはね。やっぱりこの世界は新人がどんどん出てこないといけないですからね。新しい人がどんどん出てきて俺らが追いやられていくっていうようじゃないと、やっぱ楽しくないっすよ。俺らも競争社会の中で出てきて、先輩たちをどれだけ蹴っ飛ばしてやろうかっていうつもりでやってきたわけだからよ。
エネルギーの源は、才能への嫉妬。
リスナーとしても常に「今のロック」を聴いていたいと思います。
もちろんそうです。「昔の音楽はよかった。今の音楽がわからない」なんて言うのは、自分が「今」に興味がないだけの話であって。自分が勝手に自分の時代は終わったと思い込んでるだけの話なのよ。やっぱり若者の音楽の中にも「おっと〜」なんてものもありますよ。「やるな」みたいな。俺は自分の嫉妬のためにやっぱり聴くし、見る。で、「脅かしやがったな」みたいなことを言ってあげれば、そいつも嬉しいだろうし。それはやっぱり先輩に対しても、後輩に対しても常にそうありたいなと思ってますね。だからこうやってMEGに載ってる人たちは全部ライバルだし、自分にとっては年寄りだろうが、若いヤツだろうが、子役だろうが「負けねぇぞ、この野郎」というつもりでいないと。同じ土俵に立っちゃうんですからね。相手の才能を認めることが最大の自分の奮起の源ですね。
…小便したくなっちゃったな。ちょっとオシッコ行っていい?(笑)