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「江守徹」スペシャルインタビュー取材日:2012.06.13
俳優、劇作家、演出家、翻訳家…。さまざまな顔を使い分け、
その多彩な才能で長きに渡り日本の演劇界を牽引してきた江守徹。
9月には、朗読と邦楽のコラボレーションで芥川龍之介の名作を綴る
「言の葉コンサート『羅生門』で、愛知に登場します。
“名手”芥川の短編小説を言葉で伝える。
9月に愛知で行われる「言の葉コンサート『羅生門』」では、芥川龍之介の「蜜柑」「手巾」「羅生門」を朗読されます。芥川作品について、どのような印象をお持ちでしたか?
初めて読んだのは、高校時代ですかね。最初に知ったのは「或阿呆の一生」。なぜか家にあったんですよね。母親が持ってたのかもしれませんが。それで読もうとしたんだけど、最初はちょっと難しかったのかもしれません。後になって読み返して、短編の名手だということに「なるほど」と思いました。わかりやすいからね。それから「今昔物語」から題材を取った「鼻」とかね。そういうのが最初でしたね。
芥川の短編作品の魅力とは、どのようなところにあると思われますか?
例えば、今回、朗読する「蜜柑」にしても、秘密が最後にばれて、そこに読者の感情が移るという終わり方ですよね。ちょっと短編のやり方としてはよくあるような。どうして娘がそういうものを持っていたのかということは、最後までわからない。自分の席を移動して窓を開けて…「なんだろうな」と思うと、実は弟たちに蜜柑をバラバラッと撒いたという、そこにちょっと感動があるわけですね。そこにその女の子の人生を感じさせる。そういうやり方が“短編の名手”なんですよ、やっぱりね。落語でいうオチというか、聞かせどころですよね。「手巾」にしても、自分の教え子の死んだ母親が尋ねてくるんだけど、とても穏やかな微笑をたたえているから「この人は感情がないのかな」なんて思っていると、何かを落とした拍子に膝を見たら、膝の上でハンカチが裂けんばかりになってた…これも一種のオチですよね。そこで、相手の夫人の真実がわかるという。
朗読なさるときに気をつけられることはどんなことですか?
お客様が初めてその文章を読んだときの感じはどういうものだったか、ということですよね。活字で文章を黙読する、それで内容を頭に入れていくというのは、読者の自由なんですよね。もう一回繰り返して元に戻るとか、ゆっくり読むとか早く読むとか…。それを一晩で何百人かのお客様に同時に伝えるわけですから、みんなに伝わるように、というのが一番。だから、何が必要かというとやっぱり言葉の正しさでしょうね。それが一番要求されます。芝居の場合はほかにも装置があったりするけど、朗読の場合は何もないところで言葉だけで伝えるわけだから。しかも、もう一回元に戻って読み返すことはできないでしょ?だから、それなりの努力というか緊張感というものがありますね。アクセントとか歯切れの良さという技術的なことはもちろん、雰囲気ですよね、全体の。あらかじめ自分がその本の世界を知っていないと。
文章の奥にある、人間の真実の感情を浮き彫りに。
今回のような朗読と舞台や映画で演じられることに共通点はありますか?
やっぱり感情の動きを伝えるということですね。例えば「蜜柑」なら弟思いの気持ちを「あぁ、よくわかる」と、まず聞いてる人に思わせるのが大事ですよね。そういう感情を起こさせるということが。「羅生門」だとやっぱり、老婆が死体から身ぐるみ剥いでるところで、逆に下人が横からその老婆の身ぐるみ剥いでいっちゃうということですね。そういう、人間が窮状に置かれたときの真実というものを出せればという風に思うんです。
文章の奥にある登場人物の深層心理や感情を声で伝える。
まさにそうです。活字じゃなくて僕の音声ですね、結局。そこに特徴が出ちゃうというのが個性ですから。どういう読み方がいいかというのはわからないんですよ、本当を言うと。芥川の自筆の原稿を読んだ方がいいのか、印刷された活字で読むのがいいのかっていうのは、言えないでしょ?文庫本の活字がいいのか、ちゃんとした本の活字がいいのか、何とも言えませんよね。結局はそういう表面的なことよりも内容です。だから、一番感情が出るところというのは、芝居や映画の場合と同じようなものですね。
役を本当に自分のものにすることは、可能か。
江守さんは、ご自身で演出も手がけられるなど、演じるだけに留まらない自己表現をなさっていますね。
いや、そんな大げさなものじゃないですよ。そういう自己表現をもっとしたいなと思ったら、例えば小説を書いたりほかのことをもっとしてるでしょうね。だけど、それだけの情熱がやっぱりなかった。書くって大変なことですからね。そりゃ、ちょっとした随筆みたいなものは頼まれたら書いたりしましたけど。フィクションというのは、なかなか難しいですよね。劇作の方はしましたけど。だから、自分が演出もするようになったというのはそこなんですよ。その作品に対してどういう考えを持つかというのは結局、演出をしないと、一俳優の立場ではできませんから。全体を見るということですよね。それで演出をするようになったんです。
俳優になろうと思われたきっかけは、どのようなものだったのですか?
母親に3歳の頃から映画に連れていかれていたのが非常に大きいでしょうね。小学生、中学生の頃は、小遣いと時間があればしょっちゅう映画を観に行っていたし。その頃、我が家にテレビはありませんでしたしね。大体、僕らの世代はみんな映画少年、映画少女でした。それで段々、ああいうことをやってみたいと思ったんじゃないでしょうかね。今の子どもたちがテレビを観てるのと同じ感覚ですよ。「自分もテレビに出たい」とか、そういう気持ちと似たようなものなんじゃないでしょうか。小学生のときは学芸会で閻魔大王の役なんかをやったりしたこともありますよ。その後、大学に進んで英文学もやりたいなと思っていたんですが、卒業後どうするかと考えたとき、やっぱり俳優になろうと思ったんですよね。それで文学座に入ったんです。
何かターニングポイントがあったのでしょうか?
母子家庭でしたから。母ひとり子ひとりの生活をずっとしていて、母親が働いて苦労してることも知ってたから、生活力が欲しかったんですね。子ども心に俳優なんかになるとお金が得られるかもしれないと思ったんでしょう。親も反対しなくて、むしろ喜んでくれたという雰囲気がありました。母親がちょっと趣味で絵を描いてたこともあったので、そういう芸術的な方向に憧れがあったんですね。「大いにやれ」と喜んでくれた。だけど、どうやって俳優になっていいかわからないんですよ。映画が好きだから出たかったんだけど、どうやったら映画俳優になれるかわからない。その頃、高校で演劇部に入っていて、そこにあった演劇雑誌で文学座だとか俳優座、民芸などの劇団に養成所があることを知ったんですよね。やっぱり、目的は家族の生活のためでした。非常に現実的なんです、僕は。すごく高邁な芸術的な目的のため、という感じではないと思いますね。
生きるために俳優という職業を選ばれた。今、俳優人生を振り返られていかがですか?
子どもの頃は、演じるということにある憧れを持っていました。特にアメリカの映画なんかを観て。今も同じ気持ちはありますけど、経験を積んだ分、余計に大変なことだなと思いますね。子どもの頃は役を演じるということをわかっていませんでしたから。それを知ってしまうと、大変だということがわかりますよね。フリじゃ済まないから。かといってその人間そのものになるというのはできないことですからね。その辺りの目的を持つのがなかなか難しいんですよ。できるだけその人間になろうとするということは、非常に苦しいことなんです。だけど、そうしないと観る人は感動しないんじゃないだろうかと思うと、不可能に近いほど難しくなるんですよ。その役が非常に辛い役だとすると、自分そのものが辛くなってきますし。だから、一体演技というのは何だと思っちゃうんですよね。例えば、「オセロ」という役。あんな風に妻に裏切られたと思って殺しちゃうような人間の、しかも黒い肌を持った人種という人生を背負った精神というか魂をシェイクスピアが描いたんだけれども、それを本当に自分のものにするなんてことができるかと思っちゃうんですよね。でも、向かわなくちゃしょうがない。そこが矛盾しちゃうんですよ、ちょっとね。