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「バンジャマン・ペッシュ」スペシャルインタビュー取材日:2016.06.23
1669年、ルイ14世によって創設されたパリ・オペラ座バレエ。
このバレエの殿堂には、
世界の名立たるバレエ団にも類を見ない絶対的なヒエラルキーが存在します。
その頂点に君臨するのが最高位の“エトワール”。
そんな世界のダンサーのトップ・オブ・ザ・トップが一堂に会し、
その魅力を最大限に引き出すプログラムを
実現する特別公演が「エトワール・ガラ」です。
バレエ界の最高峰にして最前線を体感できるこの公演の立役者が、
現在のオペラ座を代表するエトワール、バンジャマン・ペッシュ。
ダンサー兼アーティスティック・オーガナイザーとして長年、
公演プロデュースに携わってきました。
今年2月にアデュー公演を終えダンサー人生にひと区切りつけた今、
自身が情熱を注いできた公演に懸ける思いとは…。
5回目を迎える、この夏の「エトワール・ガラ2016」を前に、語ってくれました。
2月にパリ・オペラ座でアデュー公演を終えられました。今後の活動についてお聞かせください。
アデュー公演というのはバレエ人生の中でやはり大事なポイントで、オペラ座のダンサーとしてのキャリアの集大成という公演ではありました。そういう意味もあって、今回のエトワール・ガラではアデュー公演で踊った「ル・パルク」という作品を披露します。これがダンサーとして舞台に立つ最後になるかもしれないし、また踊るかもしれない…今後のことはまだわかりません。ただ、芸術監督としての活動を続けることは確かです。
エトワール・ガラには、2005年の第1回目の時からアーティスティック・オーガナイザーとして関わっていらっしゃいます。立ち上げにあたって、苦労されたことはありますか?
「このプログラムを実現させたい」という強い思いを持った人がたくさんいて、彼らと一緒に作り上げていきました。同年代のダンサーたちと共に作るということで、ほかではできないプログラムを展開できる楽しみの方が大きくて、困難なことは全くありませんでした。多くの振付家も私たちに協力してくれましたし、日本でなかなか紹介されないような演目をバラエティ豊かにご案内するというエトワール・ガラの強みを最大限に生かす展開を実現できました。
毎回、プログラムが非常に練られていて、難易度の高い演目がラインナップされているのも特徴的です。今回のプログラムのポイントを教えてください。
今年はネオクラシックにポイントを置いています。例えばバンジャマン・ミルピエ振付で日本初演の「クローサー」、マクミランの「三人姉妹」、またティアゴ・ボァディンの「Sanzaru」、マクレガーの「感覚の解剖学」。これらはエトワール・ガラでは初めて上演する作品です。作品選びに関しては、まずダンサーたちに踊りたいものを聞いた上で、全体的なコンセプトを練り上げていきます。今回は、生の音楽を使ってみたいという思いがあり、オペラ座専属のピアニストのひとりである久山亮子さんに演奏していただきます。ダンサーである私が公演のクリエーションに携わるというのは、例えば俳優が監督業をするのと同じだと思います。やはり両方の仕事をよく理解しているということは大事なこと。このふたつの役割を担うことは、ふたつの視点を提供することだと思うんです。クリエーションの方では、いわゆる観客と同じ目線、どんな作品が観たいかという視点で作っていきますし、ダンサー側としてはどういった作品を踊りたいかという視点を持ちます。ふたつの視点を備え持つことで、観客、ダンサー双方の気持ちを反映し、どんなプログラムを構成して、どんな順番で展開し、音楽、演技の部分でどのような演出をしていくかを練り上げていくんです。
この公演には、オペラ座バレエの最高位であるエトワールはもちろん、その地位をめざすプルミエ・ダンスール(第一舞踊手=エトワールに次ぐ階級)も数多く出演しますね。
エトワール・ガラのプログラムは、ダンサーを成長させてくれるものだと思います。今、エトワールにいるダンサーたちも、以前はスジェ(セカンドソリスト)やプルミエ・ダンスールでした。過去10年に渡り4回のエトワール・ガラ公演を行ってきた中で、エトワールになった人もいます。今回出演するユーゴ・マルシャンとレオノール・ボラックは、典型的なフランスのバレエを体現しているようなダンサーです。とても才能のある人たちですし、将来とても有望なふたり。優雅でフランスらしいスタイルのダンサーで、伝統的なオペラ座のフランスのバレエというものを見せてくれます。近い将来のエトワールだと思っています。ジェルマン・ルーヴェもそうですね。今後の活躍が楽しみなダンサーたちが揃っています。
ダンサーが自らプロデュースする公演は、それまでのパリ・オペラ座バレエでも行われていたのですか?
20年ほど前、マニュエル・ルグリがそうした公演を日本で行ったときにご一緒したことがあります。そこでいろいろなインスピレーションを得ましたし、制作の過程を学ばせてもらいました。彼の芸術監督としての働き方に強く感銘を受けました。バレエへの愛、一緒に働くダンサーたちへの本当の意味での優しさなど、公演を成功させるために全てを投げ出して身を粉にして働く姿に感動しましたし、そういうものを受け継いだと思っています。ヌレエフやパトリック・デュポンも日本でプロデュース公演をしていたと思います。私はヌレエフから直接習っている最後の世代なんです。
そうしたオペラ座スピリットというべきものを、若いダンサーたちに継承するという役割も担っていらっしゃるのですね。
そうですね。私はこれまで32年間、脇目もふらず踊ってきました。これからは自分自身のバレエへの思いやビジョンを伝えていくための公演を立ち上げていきたいと思っています。私はエトワールに任命されるのが少し遅かったんです。当時は今と違ってダンサーの定年が45歳でしたから、まだ数多くのエトワールがいてなかなか昇格できないということもあったかもしれません。そうした困難が人を強くしますし、それがあったから今の自分があると思います。