HOME > 清水ミチコのシミズム > 清水ミチコの「シミズム」#79
蛭子能収さんがテレビタレントとして人気が出始めた90年代。
私もよく番組などでご一緒しました。
コメントに嘘がなく、ありがちな挨拶もしなければ、
ヨイショもない率直な性格なので、
一度数名で飲んだ日の会話も忘れられません。
あの独特のなまりのあるおっとりした話し方には温かみがあるため、
人の悪口なんかになると、
その中身とのギャップが面白かったものでした。
また「オレはギャルのいるような
エッチな店にはいっさい行かないんですよ」
と言ってたので(へえ、自分ルールがあるなんてステキ)と思いました。
すると、「だってカミさんとならタダじゃないですか」。
私は聞き間違えたかと思い、
もう一度顔を見ました。真顔。ガックリ。
さすが昭和・ノーコンプライアンス世代。最低です。
「漫画も、もう書きたくないんですよ」とのこと。しんみり。
若い頃からの銭湯の絵、映画看板の仕事、
ガロなどの漫画の連載、長崎から出て色んな仕事を経て、
さすがに創作への意欲も薄まってきたのかな、
と思ったら「テレビに出た方がカネになってすぐ競艇に行ける」。
ガックリ・パート2でした。
賭け事の話になると目が輝き始める蛭子さんは、
依存とまではいかないけど、
「我が幸福は賭けにあり」という風でした。
ただ怖かったのは、
「勝つと嬉しい。けど、
大金をすった時の興奮やスリルもまた格別で
嫌いではないんですよ」
だそうで…。
そういうものか、なんとおっかない世界なんだ。
じゃあやめられるわけないじゃん、でした。
凡人がおいそれと軽い気持ちで近づいては危ないもんなんですね。
いつのまにか賭博が止められなくなってた、
水原一平さん事件が話題になったばかりですが、
彼を笑えない人も実は多いのかも。
ゲームそのものより、スリルが一番の快楽になってる感じが怖い。
人はとにかく脳への刺激が大好物にできてるのだそうで、
詐欺も不倫も万引きも、結局根っこはスリルという刺激なのでは?
ともあれ、こういう現実は昭和も令和世代も、
一番身をもって恐怖を教えてくれるものですね。