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清水ミチコのシミズム

NHKで、伊丹十三さんの特集番組を放送してました。
つくづく「お葬式」という映画は特別だったんだなあ、
と思いながら拝見しましたが、
映画の中でのストーリーとはあんまり関係のない
「うっとうしいシンセキ」の描き方も忘れられません。
冠婚葬祭で会うシンセキの、
あのえもいわれぬ妙な違和感。
遠いような、近しいような。
似てるような、そうでもないような。
家族でもなく、他人でもない感覚。
お互いそんな思いながらも、
ヨソイキの服を着るようなタイミングの時にのみ会うがゆえの、
おじぎも空気も薄~い感じ。
とくに映画での名古屋弁でしゃべる
シンセキ(確か岸部一徳さん)が、
何かにつけては「まーたまた、シゲがヨ!」
と笑うのが何回も繰り返されるため、
こっちにも耳についてくる。
そのイラつきがザ・絶妙なんです。
(シンセキが苦手なのは自分だけだろうと思ってたら、
全国的な感覚だったのか!?)と、
映画の趣旨とは全く違うところで感動してました。
そういえば去年は、
大地真央さん主演の舞台
「最高のオバハン中島ハルコ」を観たのですが、
美女なのにすごい名古屋弁の探偵役で、
セリフを言うたびに大ウケでした。
本拠地・名古屋公演ではさらにもっとウケてたそうでした。
同じ親しみやすさでも、
大阪弁には「でんがな、でっせ」など、
テンポが生まれる語感がありますが、
名古屋弁は「だぎゃあ、だがね」など、
着地をスローにさせるため、
たとえば「犯人はおまえだ!」などの決めゼリフも、
「犯人はあんただがねー!」と、

という、決まりにくさが出るところに、
滑稽さ、面白味が生じるのかもしれませんね。
北野武監督の「首」でも、
加瀬亮さん扮する織田信長の達者な名古屋弁が、
ものすごくおかしかったっけ。
残酷なシーンなのに、もっとしゃべりを聞いていたい。
怖いけどやたらおかしい。
伊丹さんの映画の話からずいぶんそれてしまいましたが、
名古屋弁のおかしみの効能って、これからも未来永劫、
日本を明るくするに違いない、と思ったのでした。