HOME > ドラマチック!OH!能 > vol.49「江口 干之掛 脇留」
「江口」は優雅で美しい歌や舞を見せ場としている三番目物のひとつ。三番目物は能を代表する名曲が多く、女性がシテとなっている曲が中心なので「鬘物(かつらもの・かづらもの)」とも呼ばれます。観阿弥作を世阿弥が改作したといわれ、世阿弥による自筆本も残っています。江口遊女が実は普賢菩薩であったという結末で仏教の教義も盛り込まれています。難解な詞章も含まれますが、華麗さと崇高さがみごとに表現された夢幻能で、別格に扱われています。
【物語】季節は晩秋。旅の僧が江口の里(現在の大阪市東淀川区南江口)に来て西行の古歌を懐かしんでいると、里の女が現れ「なぜ遊女の返歌を言わないのか」と言います。女は、“この世への執着を捨てよ”と西行に答えた遊女の返歌を明かし西行との贈答歌の真意を説きます。そして自分は江口遊女の幽霊だと告げて姿を消しました。里の男が旅僧に尋ねられ、遊女が普賢菩薩となって現れる故事を物語ります。そしてその夜、清らかな月が波間に影を落とし、淀川の水は滔々と流れゆくなか、経を手向ける一行の前に、川舟に乗った江口遊女が侍女たちを連れて現れました。江口遊女は遊女を生業とする身のつらさと世の無常を述べた後に舞を舞い、執着を捨てれば迷いはないのだと説き、その身は普賢菩薩となり舟は白象となって西の空へ消えてゆくのでした。