HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第八十二回「信じる者は討たれても…」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

信じる者は討たれても…

未来に希望を託すという事は、ブレない信念を保ち続けるのと同義ですが、なかなか簡単ではありません。誤解されたり、時には周囲を欺かざるを得ない必要も出てくるかも知れません。
それを鮮やかにやってのけたのが「実盛物語」の斎藤実盛。源平期に実在した武将がモデルです。実盛は平家方ながら、源氏方の木曽義賢にも一時仕え、その旧恩から戦死した義賢の遺児を預かりました。その子が後の木曽義仲。成長した義仲の討伐に赴いた実盛は七十を超えていましたが、最期の戦いで若々しくありたいと、白髪を黒く染めていたとか。手塚光盛という武将に討ち取られた実盛の首を見て、不思議に思った義仲が池の水で洗わせると、黒髪は白髪に変わり、義仲は恩人の死に涙したと伝えられています。
歌舞伎の実盛は、逃亡中の義賢の妻・葵御前の探索役で登場。義賢ゆかりの九郎助の家にかくまわれた葵御前は懐妊中で、実盛は同役の瀬尾に、葵御前が腕を出産したというトンデモ話でごまかして親子を救います。無事産まれた子は長じて義仲となり、九郎助の孫・太郎吉は後の手塚光盛となる趣向です。
かって太郎吉の母を、源氏再興のため心ならずも見捨てた事情を再現ドラマよろしく語る実盛。母の敵と迫る太郎吉に、将来戦場で再会した時に討たれるだろうと未来を予見して立ち去ります。
旧恩から秘かに源氏に心を寄せ、戦乱の世の摂理をふまえた実盛は自らの信念に従い、次世代へ希望を託したと言えます。たとえ討たれても本望だった事でしょう。