HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第七十六回「理屈じゃないからできること」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

理屈じゃないからできること

無償で人助けをする動機とは何でしょう。答えの一つに「情動」があると言えます。
ボランティアが時に偽善と呼ばれたり、有名人の寄付に至っては「売名行為」のレッテルが貼られる事すらありますが、そもそも誰かを助けたいという想いは、情動からくるもの。それで少しでも世の中が良くなるのなら…。
しかし「文七元結」の長兵衛の場合、いささか度を越えています。腕の良い左官でありながら、博打で首の回らなくなった長兵衛。娘のお久は一家のピンチを救うため、吉原に身売りしようとします。事情を聞いた遊女屋のおかみは、長兵衛のクライアントでもあったので、来年の大晦日までに返済という約束で、長兵衛に五十両を貸してやります。もし返せない時は、お久を遊女として店に出すという条件付きです。
これからは仕事に精を出すと誓った長兵衛でしたが、帰路に身投げ寸前の手代・文七と遭遇。商売の売上金・五十両をすられて死ぬしかないと語る文七の説得に手こずったあげく、ついに借りた五十両をくれてやってしまいます。
「お久は泥水にまみれても死ぬ事はないが、今この金がなければ文七は死ぬ」という理屈ですが、実のところは「知った以上、見て見ぬ振りは出来ない」。これこそ多くの人が人助けに動く最大の動機であり、知らんぷりをするのは気がとがめて落ち着かないという本音も混ざっているでしょう。
結局全ては文七の勘違いで、全員が救われるハッピーエンドに。長兵衛の行動には疑問符もつきますが、理屈を超えた情動が全く無い世の中というのも、住みにくいものなのかも知れません。