HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第七十五回「しゅうちゃくこわい」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

しゅうちゃくこわい

執着心の怖さをこれでもかと描いたのが「生きている小平次」。
小幡小平次という伝説上の人物を基に創作された、一風変わった怪談劇です。役者の小平次と太鼓打ちの太九郎は、旅興行一座の仲間。かねてより太九郎の妻おちかと密通していた小平次は、おちかを自分にくれと無理難題を持ちかけます。うすうす二人の仲に気づいていた太九郎は、怒りにまかせて小平次をめった打ちにして沼に沈めます。
数日後、太九郎の留守宅に、殺されたはずの小平次が、怪我を負った姿で現れます。おちかに向かい、太九郎を殺したので一緒に逃げようと迫りますが、帰宅した太九郎に見つかり、三人で諍った末に、太九郎夫婦は小平次を刺し殺してしまいます。
ところが、いつの間か小平次の亡骸は消えていました。恐ろしくなった夫婦は逃げるように旅に出ますが、どこまでも小平次らしき人物が後をついて来るのです。
果たして小平次は恐怖が見せる幻想なのか。判然としない姿に追い込まれていく心理状態、小平次の執拗さもリアルで、幽霊をはっきり出さないが故に、怖さも倍増。一方、おちかは怯える太九郎に「もし小平次が生きていれば罪にならないし、怖ければ何度でも殺せばよい」と言い放つような、肝の座ったところも見せます。
もつれた執着心は、これほど自らも周囲の人間も巻き込み、それぞれの本性をさらけ出させた末に終わりがないのが、一番恐ろしい事なのかも知れません。