HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第六十六回「ひそかに育つ心の闇」
文・イラスト/辻和子
ひそかに育つ心の闇
久しぶりに親戚の子などに会うと、いつの間にか大人びていてビックリします。でも外見とは裏腹に、内面までうかがい知るのは難しい。小さい頃とは様変わりしていることもあるかも知れません。
「女殺油地獄」は、江戸期の殺人事件から発想を得た作品。油屋の放蕩息子・与兵衛は商いに身を入れず、借金を重ねて遊び回る毎日。町内の同業者の女房・お吉とは幼い頃からの顔なじみです。年上で子供もいるお吉は、与兵衛にとっては「気のおけない近所のお姉さん」。一方お吉にとって与兵衛は「よく知った町内の男の子」といったところです。
その関係が良くわかるのが、遊興の果ての喧嘩で泥だらけになった与兵衛を、偶然通りかかったお吉がかまう場面。与兵衛の短慮をいましめた上で、茶屋の奥で着物を脱がせて泥を拭いてやります。二人きりで奥にこもっていたのを、来合わせたお吉の夫に誤解されそうになり、お吉は「あほらしい。損な役回りを演じてしまった」と、あきれて見せます。
その後、いよいよ金に追いつめられた与兵衛は、お吉に借金を頼みますが、キッパリと拒絶されます。破れかぶれになった与兵衛は「いっそ不義になって貸して下され」と、お吉がそれまで見たことのないような怪しい表情で迫り、ついには殺してしまいます。
与兵衛の父は早くに亡くなり、実母はやむなく当時の番頭と再婚して店を守りました。先代への遠慮から与兵衛に強く出られない義父と、彼への気遣いから与兵衛に厳しい母。複雑な家庭環境が、彼の性格に影を落としていたのかも知れませんが、それは人にはうかがい知れぬこと。よく知っているつもりの相手でも、いつの間にか育った心の闇までは見えないのです。