HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第六十一回「純粋無垢の破壊力」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

純粋無垢の破壊力

世間知らずは弱くて強い?
純粋無垢な人ほど、か弱いイメージを持たれがちですが、いざという時のパワーは破壊的です。
法力を持つ高僧・鳴神上人は、朝廷が約束を破った事に怒り、龍神を京都・北山の滝壺に閉じ込めてしまいます。雨が一滴も降らず困った朝廷は、美女・雲絶間姫を、鳴神の元につかわします。
鳴神のこもる岩山へやって来た姫は、色仕掛けで鳴神を籠絡し、その法力を破る作戦に出ました。彼女は才色兼備のいわばスーパーウーマン。鳴神の弟子相手に、なき夫との馴れ初めを色っぽく語っていると、その様子に引き込まれた鳴神は壇上から転げ落ちてしまいます。姫はすかさず鳴神の弟子になりたいと申し出ます。
鳴神の反応を見ながら臨機応変にふるまう姫は、急に腹痛になったふりをします。驚いて介抱するうちに初めて女性の肌に触れた鳴神。世間から隔絶された場所で、ひたすら修行三昧だった鳴神にとって、それは今までの世界がひっくり返るような出来事でした。それからは彼女の思うつぼで、鳴神は自ら堕落を宣言。姫は祝言にかこつけ、鳴神に酒を飲ませて酔わせる事に成功します。
酒を吞んだ事のない鳴神は、最初こそためらうものの「私の言うことが聞けないのか」と怒ってみせる姫の言葉にタジタジ、嬉々として言いなりになります。その無邪気な様子も微笑ましいのですが、世間智にたけた姫に、純粋で世間知らずの鳴神がかなう訳もないのです。
泥酔した鳴神が寝入った隙に、姫が滝に張られたしめ縄を切ると龍神は空に昇り、たちまち大雨に。だまされたと知った鳴神は、一変して憤怒の形相となり、姫の後を狂ったように追いかけて行きます。考えてみれば神がかり的なそのパワーも、無垢な魂にこそ宿るものなのでしょう。