HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第五十七回「信念の功罪」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

信念の功罪

頑固親爺の信念に振り回される一家の悲劇ー。「絵本太功記」はそんな作品です。
主人公の武智光秀は、主君・織田信長を討った明智光秀がモデル。春長(信長)への謀反勃発から真柴久吉(豊臣秀吉)に滅ぼされるまでの十三日間を描いたもので、その十日目の設定である「尼ヶ崎閑居の場」が有名です。
ユニークなのが光秀のキャラ。謀反の動機は「庶民や僧侶に非道を重ねる春長が許せない」という信念ゆえでした。しかし光秀の母・皐月は、主君に謀反をはたらいた光秀を快く思っていません。皐月が引きこもる庵室に、光秀の妻・操と息子の十次郎、許嫁の初菊がやって来ます。
父とともに討ち死にする覚悟の十次郎は、出陣をやめるよう懇願する初菊に、自分をあきらめて他家に嫁ぐよう諭します。その気持ちを察し、二人に水盃がわりの祝言をさせる皐月。そこへ裏の竹やぶから現れた光秀は、青白く凄まじい形相。光秀追討のため、僧に偽装して庵室に宿泊中の久吉を槍で狙いますが、誤って皐月を刺してしまいます。光秀の謀反を苦々しく思う皐月は、実は承知で久吉の身替わりとなったのです。
驚愕する光秀でしたが、深手を負って戻った十次郎に、戦場の様子を語るよう要求。十次郎は父を案じつつ絶命、それを見た皐月も光秀をなじりながら絶命します。
残された操と初菊は「こんなに悲しい別れがあろうか」と嘆き、さすがの光秀も男泣きしますが、その信念は揺らぐ事なく、現れた久吉と戦場での再開を約束します。たとえ家族でも、それぞれが抱える心中は別ものなのです。