HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第五十五回「物語の共有に救われる時」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

物語の共有に救われる時

人が生きるよすがになるのが「マイ・ストーリー」。百人いれば百人の「私の」物語があり、文化や娯楽に対する思いも、それぞれのマイストーリーの中に組み込まれていきます。逆に人々が心の中で求めているストーリーを、娯楽がすくいとる場合もあるでしょう。
獅子の精が長い毛を降る姿が印象的な「連獅子」。歌舞伎のアイコンともいえる作品ですが、その成立は幕末前後で、比較的歴史が浅いものです。
元ネタは能の「石橋」。親子の獅子が「狂い」と呼ばれる激しい動きを見せる演出が歌舞伎化されました。前半は二人の狂言師が登場し、親獅子が子獅子を深い谷に突き落として試練を与える様子を表現。途中で「宗論」と呼ばれる、僧侶二人がコミカルな宗派争いをする合狂言をはさみ、後半は獅子の精となった二人が再登場します。
その成り立ちを見ると、面白い事がわかります。当初は現在よりアクロバティックで娯楽性の強いものでした。獅子が登場する能ルーツの歌舞伎演目を「石橋もの」と呼びますが、今の形に定着するまでには、色々なバリエーションが。子獅子が二匹出たり母獅子の狂いを見せたりと、昔ほど娯楽性が高く、近代ほどストイックな内容に変化していきます。
本作も最初はベテランと若手の芸合戦の趣でした。後に宗論が付け加えられ、昭和に入ると、明るく男性的な芸風の初代市川猿翁と三代目段四郎親子の名物演目として、人々に迎え入れられます。この親子は「相似形」と評されて有名でした。高度成長期のただ中、父の後を追うように段四郎が亡くなってからも、さまざまな親子コンビで演じられ、今日では歌舞伎の芸の伝承を思わせるものに変容。その変化は世の中が求めているストーリーと、どこかで繋がっているのかもしれません。