HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第五十回「生きることは演じること」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

生きることは演じること

人はみな何かの役割を演じて生きているのかもしれません。会社員でもいったん帰宅すれば、妻や父親や子供の顔に切り替わり、同級生の前では学生時代のキャラに戻ったりもするでしょう。
対する相手によって、自分の見せる顔も少しずつ違うはず。自分の中には様々な自分がいて、意識せずとも「相手によって引き出される自分」、あるいは「自分が見せたい自分」は、少しずつ変わるのです。そんな自分の中にある要素を、意識的にすくいとって「演じる」ことが出来るなら、世渡り的にも有効かもしれません。
それを仕事として演じているのが歌舞伎役者でしょう。なかでも、その究極といえる作品が「お染の七役」。一人の役者が、町娘のお染、その恋人の丁稚・久松、久松の許嫁のお光、お染の母親の貞昌、あねご肌の土手のお六、小粋な芸者・小糸、久松の姉で品格ある奥女中・竹川と、異なるタイプの役を、短時間で早替わりも取り入れつつ演じます。
もちろん、着替えて登場しただけに見えるようでは芝居にならず、キャラそのものが変化したように演じる必要があります。たとえばお光は、お染と久松が駆け落ちしたと知り、絶望から狂乱しています。おっとりと見える久松は、実は武家方の出で、お家再興のために必要な刀を探しており、竹川はそれを支えるしっかり者という設定です。
特に面白いのが土手のお六。実は竹川の元部下で、名刀探索に協力しています。ならず者の連れ合い・喜兵衛とセットで、いかにも伝法なキャラですが、根っからの悪人ではありません。質屋に流れた刀の購入費用を捻出するため、喜兵衛と商家にゆすりに出かけるお六。最初は丁寧なものごしだったのが、だんだんと凄みをきかせて居直るところが見せ場です。
お六が自分のなかの「勇ましい部分」を、最大限に拡大して見せたとも言えるでしょう。結局ゆすりは失敗しますが、ここぞという場面では、少しだけ自分の「キャラ操作」をしてみるのも有効かもしれません。