HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第四十四回「鈍感という品格」

世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

鈍感という品格

「恥ずかしさを知らない」のは、世渡りにおいて、ある意味で最強の資質かも知れません。悪い事をしても恥じないという事ではなく、良い意味で「人目を気にしない」という事です。その代表選手が「廓文章」の伊左衛門。放蕩が過ぎて勘当された大阪の豪商の若旦那という設定で、師走のある日、馴染んだ遊女・夕霧に会うために遊廓を訪れます。一文無しになっているため、古手紙をリサイクルした紫色の「紙衣」という着物姿で登場します。いかにも寒そうな風体ですが、もともと大金持ちなので、落ちぶれていてもおっとりした気品が。伊左衛門の演技では、この「おっとり感」を見せる事が何より重要で、上方特有の「和事」という柔らかな演技に特徴があります。遊女屋の門口にたどり着くと、使用人たちに「お前のような見すぼらしい奴は、とっとと失せろ」とののしられますが、伊左衛門は「(遊女屋の)主人に早く会わせてたもいのう」と、どこ吹く風。騒ぎを聞きつけて出て来た主人が平謝りすると「わしやからええが、他のお客にこんな事のないように」と、余裕の発言です。今の境遇を卑下する事なく、気分は昔のお大尽のまま。主人に袖をとられて言う「紙衣ざわりが、荒い、荒い」という台詞も有名で、ボンボンのおっとりとして、ちょっとのんきな感じが良く出るところ。育ちが良いので「こんな事をすれば笑われる」という、人目を気にする発想がなく、自分の気持ちを率直に表現する事に躊躇がありません。歌舞伎では恋に一途なお姫様もこのタイプです。座敷に案内されてからは、本来のお坊っちゃまパワー全開。夕霧が来ても、わざとふて寝をきめこんだり、すねて見せたりする様子にも愛嬌があって憎めません。最後は勘当もとけて本来の身分に戻る目出たい展開は、日本版「大人の小公子」のようでもあり、冬の時代を経て、春の訪れを待つ日本人の心情にもしっくりきます。