HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第四十回「打算なき世渡り」
文・イラスト/辻和子
打算なき世渡り
「無心さと素直さ」は、世渡りにも有効な「愛され秘訣」かも知れません。
歌舞伎では、神仏にとりつかれる人がよく登場しますが、ほとんどが若年者です。ひたすらに踊り、獅子の精に変身する少女や、想う人を助けたい一心で、霊力を持つ狐の精を取り憑かせるお姫様ー。いずれも若さゆえの打算の無さに、神仏が魅入られる設定ですが、素直な心の大人も例外ではありません。
それがお酒好きの精霊の舞踊「猩々」。もともとは中国の伝説の霊獣で、海中に住み、赤毛で子供の声を持つとされました。日本には不老長寿の福を呼ぶ神として伝わり、同名の能から歌舞伎化されました。猩々の特徴的な衣裳の赤は、中国ではめでたい色とされますが、日本では、神が童心を持つ者に超能力を授ける「童心パワー」の象徴と言えます。ちなみに赤い目を持ち酒に集まる「ショウジョウバエ」の語源です。
親孝行な酒売りの若者が市で店を立てるごとに現れて、酒を買って飲む客がいました。いくら飲んでも顔色の変わらない客の様子を不思議に思った若者がたずねると、自分は海中に住まう猩々だと答えます。月夜の晩、若者が水辺で酒を用意して猩々を待っていると、濡れた髪を月光に光らせた猩々が、海中からこつ然と登場。酒を飲んで踊り、素直な若者の心を愛でた後、汲めどもつきない酒壺を与え、再び海の中へ去って行くというストーリーです。
猩々の精霊らしい怪しさと、酒を見て嬉しそうに相好を崩す無邪気さの対比が印象的で、神もまた無心な存在なのです。夢のように不思議な雰囲気の作品ですが、注目は足使い。扇を持って片足で立つ独特のポーズは、立ちのぼる酒の香気を確かめている姿。前髪をかざして月を見上げ、舞い始めてからは「乱れ」という、酒に酔った様子を見せるのが最大の見せ場です。変化に富んだリズムに乗って、つま先立ちで波に流されたり、波を蹴ったりして戯れます。能の足使いを歌舞伎化したものですが、名手が演じると、本当に水面を漂っているように見えます。