HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第三十八回「大人になれなかった男の末路」
文・イラスト/辻和子
大人になれなかった男の末路
人はなぜ攻撃的になるのでしょう。もしかすると、自分の価値に自信が持てないからかも知れません。 「女殺油地獄」の河内屋与兵衛は、歌舞伎界一の「DV息子」。大坂の油屋の息子で、遊び人の怠け者です。遊廓通いの借金がこうじてどうにもならなくなり、顔見知りで同業者の女房のお吉へ無心して断られ、発作的に殺してしまいます。油をまき散らしながらの殺し場には独特の美学があります。 この与兵衛の口癖が、何かといえば「男が立たない」「顔が立たない」。ろくに働かず、親の金や売上金をくすねて遊びに費やすような若者ですが、見得とプライドだけは一人前。たとえば仲間とつるみ、新地の遊女と騒ごうと目論んでいた冒頭場面。目当ての遊女にふられたことを仲間になじられると、その埋め合わせに遊興費を「一人で払うたら言い分あるまいな」と見栄を張る。もちろんその金は借金です。 家では両親と病気の妹に難癖をつけてDV放題。そんな彼を義父の徳兵衛は「一文もうければ百文使う根性。意見ひとつ言えば千言言い返す」と嘆きますが、実は徳兵衛は河内屋の元・番頭でした。与兵衛の母は夫を早く亡くし、親戚のすすめで再婚したのです。与兵衛に対して遠慮がちな徳兵衛を、与兵衛は「番頭上がり」と、なめています。 与兵衛には兄がおり、こちらはまともに育ち、与兵衛を甘やかさないよう徳兵衛に意見します。一方母は、徳兵衛の手前、与兵衛にわざと厳しく接してきました。義父と母、出来のいい兄との間で、与兵衛は屈折してしまったのでしょう。疎外感も募っていたかもしれません。暴力に耐えかねた母が出て行くように言うと「お前のせいでこうなった」と言い捨てて家出します。しかしお吉の家まで自分を探しに来た両親を物陰から見て、涙ぐんだりするのです。心の底では愛情を求めつつも精神は未熟なままで、すべてが行き当たりばったり。表面的な言葉で虚勢を張ることでしか自分をアピールできない姿には、時代を超えたリアルさがあります。