HOME > 世渡り歌舞伎講座 > 第三十五回「理性は業を越えられるか」
文・イラスト/辻和子
理性は業を越えられるか
愛と理性はなかなか両立しにくいもの。繋がりの深い相手との関係を守ろうと、冷静さを失う事もあるでしょう。 理性を保つのに最も難しいのが親子関係。人間誰しもわが子が可愛いいのは普通ですが、自己愛と一体化した一種の執着心もからみ、時には判断を妨げたりもします。 そんな人間よりはるかに理性的なのが芝居の狐。「葛の葉」では、森の狐が安倍保名という青年に命を助けられます。その恩返しに狐は重傷を負った保名を、彼の許嫁・葛の葉姫に化けて助けます。保名の妻となった葛の葉狐は子供も出来て、三人で幸福に暮らしているところへ、ある日、本物の葛の葉姫がたずねて来ます。正体を知られた狐は、わが子を置いて去って行くという内容です。 民間伝承を元にした物語ですが、印象的なのが狐の「倫理観」。夫とわが子と別れる場面では「自分は獣なので人間よりも愛着の業が深いのが難儀だ」と語り、本物の葛の葉姫に対しても「今まで化けさせてもらったおかげで幸福に暮らせたのだから、恩はあれども恨みはない」。わが子には「狐の子だからと人に笑われることのないよう勉学に励め。無益な殺生もしないように」と、人間以上に理性的な態度です。 倫理とは今現在の執着を断ち、「より大きい上の階層」に想いを馳せる事なのかもしれません。自分より他者、家より地域、国よりも世界。常に自分が良いと信じた事のみを為すべきだという「我知る 天知る 地知る」という言葉もあります。 保名は涙ながらに「狐を妻にしたと人にいくら笑われようが、自分は少しも恥ずかしくない」と懇願しますが、狐はそれを振り切り、元のすみかへ帰って行きます。 わが子のために障子に書き残したのが「恋しくばたずね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という歌。「会いたくなったら、自分のすみかである信太の森をたずねてほしい」という意味で、葛の葉がひるがえって裏が見える「裏見」と、去って行った自分を「恨み」に思わないで欲しいという気持ちをかけています。この二人の子供が、後の著名な陰陽師・安倍晴明です。