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文・イラスト/辻和子
第三十二回「筋を通す生き方とは」
自分の選んだ道に最後まで責任を持つのは、なかなか難しい事かもしれません。時には自分で自分に言い訳をしたり、何かのせいにしてみたり。 その点で「極付幡随長兵衛」の長兵衛は、自分の道に筋を通した人です。彼の選んだのは、いわゆる「任侠道」。モデルは実在した人物で、江戸当時、町奴と言われた町人の無頼者をまとめた大親分です。彼の生業は荒くれ者を人足として紹介する「口入れ」で、今で言えば人材派遣業のドンというところ。その職業柄、世の中を熟知し、肝も座っています。 物語の背景となるのが、町奴と、旗本集団・白柄組の敵対関係。戦国時代が遠い昔となり、エネルギーを持て余した旗本子息たちが徒党を組んだのが白柄組で、江戸市中でこれまた無頼な行動を繰り返していました。 芝居小屋で起こったトラブルが発端で、白柄組の頭領・水野の屋敷に出向こうとする長兵衛。因縁の相手に殺されるのを承知の上です。子分たちは口々に自分が替わりに行くと止めますが、長兵衛は 「人は一代名は末代の幡随院長兵衛 ここが命の捨て時だ」 侠客は男を売る仕事。自分の選んだ道は、あくまで自分一人で引き受ける覚悟ですが、今生の別れ際に幼い息子をさとす言葉が、とても印象的です。 「天秤棒を肩にあて人参ごぼうを売って歩くとも、商売往来にない稼業をして、女房子供に泣きを見せるな これは俺の遺言だ」 商売往来は、当時の職業図鑑。強い父親に憧れを抱く息子に対し、自分のようなヤクザ者にならず、まっとうな仕事につくよう、いましめます。人の上に立つ長兵衛は、無鉄砲なヤクザ者ではなく、世の中がちゃんと見えている。人に立てられる稼業を選んだばかりに、命まで捨てざるを得ない哀しさを、人一倍自覚していました。水野の屋敷の湯殿で、だまし討ちにあった時も 「百年生きるも水子で死ぬも 持って生まれたその身の定道」 筋を通すという事は、事物や人のみならず、自分に対する責任なのです。