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世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

第二十九回「心のタガをはずす時」

「魔がさす」という言葉がありますが、「人間こうあるべき」という心のストッパーが、何かの具合ではずれ、魔物が忍びこむ隙間ができるのかもしれません。
「十六夜清心」は、美しく純粋な恋人たちが、小悪党に激変する芝居。青年僧・清心と、遊女・十六夜が心中する序幕では、清心のストッパーがはずれていく過程がよくわかります。
将来を嘱望されていた清心は、十六夜と馴染んだ女犯の罪で寺を追放に。罪を悔いた彼は、十六夜と別れ京都で修行し直そうと決心。心配して後を追って来た十六夜を帰らせようとしますが「連れて行ってくれないなら死ぬ」という十六夜に、心はグラグラ。妊娠中の彼女を一人見殺しにもできず、連れて行っても罪を重ねるだけ。とうとう心中を決意し、二人で川に飛びこみます。
しかし浜育ちの清心は死にきれず、十六夜は行方不明に。石を懐に入れて再度入水しようとする彼の耳に聞こえて来たのが、屋形船の賑やかな騒ぎ唄。「人の嘆きも知りおらず、面白そうな遊山船。あのように騒いで暮らすも人の一生」と気が散り始めます。
そこへ通りかかる急病の若衆。介抱しながら、懐の大金に気づく清心。十六夜を殺した(実は生存)と悔やむ彼は、せめて彼女の親に供養の金を届けたいと、若衆に借金を申し込むものの、断られる。もみ合ううち、はずみで若衆は死亡。罪悪感におののく清心は、今度こそ死のうとしますが、またまた聞こえる騒ぎ唄。そこへ差しこんできた月の光が、最後のストッパーをこじ開けるのです。「しかし待てよ」とつぶやく清心。
「今日ここでおこった事を知るのは、お月様と俺ばかり。人間わずか五十年。同じ事なら騒いで暮らすが人の徳」十六夜と若衆に対する罪の意識も「一人殺すも千人殺すも、取られる首はたった一つ」と、自らストッパーをはずす方向に。
どうあがいても現実がままならないのなら、真面目に生きるだけ損と、悪の道にさっさと宗旨変え。この心理の真実さは、今も昔も変わらないでしょう。