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世渡り歌舞伎講座


文・イラスト/辻和子

第二十五回「仏と鬼、ふたつの顔が持つ本質。」

世の中に見捨てられたつらさ苦しさはいかばかりか。まして、それが自分のせいでないとすれば、世間を恨みたくもなるでしょう。「世渡り」という言葉も無効な現実もあるのです。
それが舞踊劇「黒塚」。人里離れた原野に住む老婆の正体は、人食い鬼の化身。でもその心は、女性の哀しみで満ちていました。
福島県の鬼女伝説に題材をとったもので、同名の能作品が原作。注目は鬼女・岩手のキャラ。寂しい原野の朽ちた一軒家で、正体を隠して暮らしています。そこへある夜、一夜の宿を求めてやってきた旅の僧たち。彼らを相手に、岩手が自分の過去を語ります。
岩手も最初から鬼だったわけではありません。もともと都の生まれでしたが、父は流罪となり、夫は岩手を捨てて失踪。生きる希望を失い、長年、世の中を恨みながら過ごして来ました。
僧に「前非を悔いて仏の教えを守れば成仏できる」とさとされ、喜ぶ岩手。僧らをもてなすため「決して寝室をのぞいてはならない」と言いおき、薪を拾いに原野に出かけます。
そこは月明かりを浴びて銀色に輝く一面のすすきの原。長年のわだかまりが消えた岩手は童心にかえり、自分の影とたわむれながら嬉しそうに踊ります。その無心な姿が本作のハイライトです。
しかし留守中に、僧の一人が約束を破って寝室をのぞいてしまいます。そこには山積みになった人の死骸が。仰天し、逃げ出してきた僧を見た岩手は、僧たちの裏切りを悟り、怒り狂って鬼女の本性をあらわすのが哀れです。
前半と後半のキャラの落差。それは誰の心にもある仏性と鬼、その二面性の対比です。そして人が最後のよすがとするのは、自分が一番幸せだった時の記憶ではないでしょうか。月明かりを浴びて嬉しそうに踊る岩手のように。
ちなみに本作を得意にした現・市川猿翁は「鬼になってからも毛に丈長(たけなが)があるのは黒塚だけで、丈長が女性を象徴している」と語っています。丈長とは和紙の髪飾りのこと。鬼になっても人の本質まで変わることはありません。しみじみ人生の深みを感じさせる作品です。